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GWのお出かけその2~行田・熊谷めぐり [お出かけ・小旅行]

GWのお出かけその2は埼玉県の行田・熊谷めぐりということで行ってきました。
当初は電車・バスで向かう予定でしたが、母が行きたい場所があるということで同行して予定変更して車で現地に向かうこととなりました。

ということで自宅から高速経由で向かったわけですが、途中渋滞もあり(何せ今回はGWの真っただ中)現地まで3時間近くかかることに。
行田や熊谷には以前仕事で何度か来たことがあるのですが、車で行くとさすがに遠いです…。




到着後最初に訪れたのが「古代蓮の里」という施設。

古代蓮の里の展望台

行田蓮を中心とした蓮池が点在し、古代蓮会館の展望タワーからは周辺の風景を一望できるという施設です。
実際のところ付近のさきたま古墳群を目指していたのですが、当日はイベント開催中につき駐車場が満車のため、ここに車を駐車して移動するという流れになりました。

蓮はまだ開花前(見頃は6月下旬~8月上旬)のため、蓮池の散策はせずにまずは展望タワーと古代蓮会館の展示物見学をしました。
(古代蓮会館の入館料:400円)

展望タワーからの眺めは抜群

高さ50mの展望タワーからの眺めは抜群で、行田市内をほぼ一望できます。
東(南東?)方向を見ていますが、奥に筑波山が見えています。
(写真が小さいので確認困難ですが、中央からやや左寄りの位置)

辛うじて富士山も見えた

西側方向。
雲も出ていて快晴という訳ではなかったですが、辛うじて富士山も見えました。

北側、奥に赤城山

北側方向。
手前に蓮池、奥に赤城山が見えます。

田んぼアートのキャンバス

南側方向。
田んぼが広がりますが、実は名物の1つである「田んぼアート」のキャンバスとなる敷地です。

過去の田んぼアートの写真

昨年の田んぼアートのデザイン図

展望室の壁には過去の田んぼアートの様子を撮影した写真や、昨年の田んぼアートのデザイン図などが掲載されていました。

田んぼアートの見頃は秋頃。

展示室には蓮の模型が展示

1階の展示室には蓮の模型が展示され、行田の自然風景を再現したジオラマや映像などが見学できます。

一通り見た後はさきたま古墳群へ。
イベント(さきたま火祭り)開催中につきシャトルバスが出ていたので乗車して移動しました。
(要するにパーク&ライドということか)

古墳群に到着

ということで古墳群に到着。
奥に見えるのは二子山古墳という名称の古墳ですが、説明は後程。

さきたま古墳公園案内図

古墳群周辺は「さきたま古墳公園」として整備され、点在する各古墳を周回して見ることができます。
上の写真の案内図は別の場所で撮影したので現在地が異なりますが、ちょうど上の「将軍山古墳」付近にいます。

将軍山古墳

将軍山古墳 案内板

到着地の一番近い位置にある「将軍山古墳」。
円形と台形を組み合わせた「前方後円墳」という造りですが、横穴式の石室を持つことが特徴。
(古墳群内の多くは竪穴式石室)
ぱっと見で普通の古墳に見えますが、実は石室を含め古墳の内部を直接見ることができる展示館として整備されています。
(写真の裏手が展示館の入り口)

展示館の入館料:200円(さきたま史跡の博物館本館と共通)

イベント用の古代住居

さきたま火祭りのイベント用に設けられた古代住居。
この後夕方から行われるメインイベントでこの住居が燃やされることになります。

稲荷山古墳 階段

稲荷山古墳 案内板

敷地の最も北側にある稲荷山古墳。
1968年の発掘調査で後に国宝に指定される「金錯銘鉄剣」が出土したことで当時一躍有名になりました。

将軍山古墳と同じく前方後円墳ですが、前方部分は後年に復元されたものです。
(当初は平地として整備された)
上の写真では階段が設けられていて古墳の上に登れますが、ちょうどその階段部分が復元された前方部分になります。

稲荷山古墳の頂上

階段を上った古墳の頂上部。
写真の手前が前方部分で、奥が(元々あった)後円部分です。

反対から撮影

反対に、後円部分から前方部分を撮影。

稲荷山古墳 全景


後述する丸墓山古墳から見た、稲荷山古墳の全景。
一部木が邪魔していますが、古墳の全体像が分かります。

丸墓山古墳 全景

丸墓山古墳 案内板

日本最大の円墳(円形の古墳)である丸墓山古墳。
戦国時代に石田三成が忍(おし)城を攻略する際にこの古墳を陣地にしました。

丸墓山古墳の階段

稲荷山古墳と同様に丸墓山古墳も登ることができます。
ちなみに階段の手前は桜並木なっていますが、前述した忍城を攻略(水攻め)する際に築いた堤(石田堤)の跡と言われています。

階段の途中から見た火祭りの会場

階段の途中から見た火祭りの会場。
夕方から始まるメインイベント前でも前座のステージが開催中でかなり賑わっていました。
(尤も大半の客はメインイベントの場所取りで滞在していると思われましたが)
屋台も出ていて食事も可能でしたが、今回は車で来ているのでさすがにビールは飲めなかったです…。

二子山古墳

二子山古墳 案内板

最初に紹介した二子山古墳。
さきたま古墳群内で最大、旧武蔵国内(埼玉県・東京都・神奈川県一部)でも最大の前方後円墳です。
古墳の周囲は堀で囲まれていますが、堀に水は張られていなかった模様。
(正確には未確認)

いかにも古墳といった見映え

真横から見ると、いかにも古墳といった見映えです。

愛宕山古墳

愛宕山古墳 案内板

こちらはさきたま古墳群内で最小の愛宕山古墳。
既存樹木がそのまま残っているので、ぱっと見で古墳と分からないかもしれません。

この角度からだと古墳の形が分かる

この角度からだと古墳の形が分かります(形状は前方後円墳)。

埼玉県名発祥之碑

「埼玉県名発祥之碑」とありますが、埼玉=さきたまが転じて「さいたま」になったということですね。

移築民家

「旧遠藤家住宅」とある移築民家。
建物内は土間まで見学可能、縁側でも休憩可能です。
(室内は立入禁止)

この後さきたま史跡の博物館(本館)で国宝の金錯銘鉄剣などを見て、残りの古墳群も回ってみます。

奥の山古墳

奥の山古墳

奥の山古墳。
古墳群を東から見た時に一番奥にあることが名前の由来。
二子山古墳と同様、比較的古墳の形状がはっきりしています。

中の山古墳

中の山古墳 案内板

古墳群で一番南の位置にある中の山古墳。
案内板に影ができて見づらくすみません…。

鉄砲山古墳

鉄砲山古墳

奥の山古墳の北隣にある鉄砲山古墳。
古墳群中3番目に大きい前方後円墳。
江戸時代に忍藩が砲術練習場として使用したことが名前の由来です。

瓦塚古墳

瓦塚古墳 案内板

最後が瓦塚古墳。
さきたま史跡の博物館に一番近い位置にあります。

この他浅間塚古墳という神社の境内になっている古墳(円墳)もありますがやや外れた位置にあったので行きませんでした。

古墳群を一通り見学した後はシャトルバスで古代蓮の里まで戻り、再び車で移動。
行田市の中心地にある忍城も見学の候補地でしたが、時間が足りないため今回はスルー。
北上して利根川を目指します。

丸墓山古墳から見た忍城

上の写真は丸墓山古墳から見た忍城
写真をかなり拡大しているので、実際古墳群からそれなりに離れています。

利根大堰

到着したのが利根大堰。
水門が連続して並ぶ、圧巻の光景です。

悠久の大河

大堰の反対方向を見た利根川。
関東一の河川で、悠久の大河といった貫禄。
奥に見えるのは赤城山か?

見沼代用水の入口

見沼代用水の入口。
見沼代用水は埼玉県内の農業用水と、埼玉県南・東京方面への都市用水を給水するために作られた水路。
ということでここが東京の水資源の入口(の一つ)ということなのです。
ご覧の通り水の流れが結構激しい…。

この後は利根川沿いを西に進み、熊谷方面へ。




最後に訪れたのが熊谷の北に位置する妻沼(めぬま)。
ここにある妻沼聖天山に行ってみました。

妻沼聖天山 歓喜院入口(仁王門)

歓喜院本殿


「国宝」と記載された立て看板が見られますが、本来の目当てが本堂の奥にある「歓喜院聖天堂」だったものの、残念ながら観覧受付時間が過ぎてしまいました…。

柵越しから見た聖天堂

辛うじてし閉まっている入口の柵越しに聖天堂の一部が見えたので撮影。
日光東照宮を彷彿とさせる豪華な造りです。
実はこの聖天堂、埼玉県の建造物として初めて国宝に指定されたということで注目されました。

※参考記事

聖天堂内の拝観料は700円
公開時間:9時30分から16時30分(受付は16時まで)

貴惣門

こちらは聖天山歓喜院の入口に当たる貴惣門。
これまた豪華な造りで、国指定重要文化財となっています。

平和の塔

「平和の塔」と名付けられた、多宝塔の造りをした塔。

この後…

※おまけ※

妻沼でもう一つ見たいものがあったので、こちらに立ち寄り
(正確には妻沼聖天山に来る前に見た)

クリーム色のディーゼルカー

とある場所にある、クリーム色のディーゼルカー…

キハ2002 東武鉄道

車体には「キハ2002 東武鉄道」とあります。

展示車両の説明

この車両、かつて熊谷~妻沼間を結んでいた東武熊谷線(全長10.1キロ)を走っていたキハ2000形で、大手私鉄では珍しい気動車(ディーゼルカー)。
東武熊谷線は元来軍用路線として熊谷から利根川を渡って群馬県側の小泉(かつて中島飛行機の工場があった)までの路線として計画されましたが、熊谷から途中の妻沼まで開通した時点で終戦になり、妻沼から先の工事は中断。
その後開通済みの熊谷~妻沼間で旅客線として運行を続けていましたが、乗客の減少により昭和58年(1983年)5月31日をもって廃止されました。

現在この車両が保存されている場所の付近に終点の妻沼駅がありました。

反対側から撮影

反対側から撮影。
湘南電車スタイルの2枚窓の風貌から「かめ号」の愛称で親しまれていました。

ホーム?から側面を撮影

ホーム?から側面を撮影。
ドアには鍵がかかっていたので残念ながら車内は見学できず。

運転席

いかにも古めかしい感じの運転席。
反対側は乗客用の座席があるので、直にかぶりつき可能な構造(これも昔の車両っぽい)。

車内客席の様子

車内客席の様子。
現在の座席より背もたれの高さがかなり低いのが特徴。
それともう一つ特徴的なのがシートの色。
少し緑がかった黄土色なのですが、そういえば昔の東武線ってこういうシートの色だったことを思い出しました。

反対側の運転席

最後に反対側の運転席。
手前にロングシートの座席が見えますが、一部破れていて保存状態は良いとはいえない…。

※おまけのおまけ※

以前熊谷で仕事で行った現場近くで立ち寄った緑道で撮影したもの。

かめ号をイメージした休憩施設(?)

熊谷線のかめ号をイメージした休憩施設(?)がありました。

熊谷⇔妻沼の行先表示も

側面には熊谷⇔妻沼の行先表示も。

緑道は熊谷線の跡地

熊谷に近い場所ですが、この緑道は熊谷線の跡地。
奥に新幹線の高架橋が見えますが、その下を秩父鉄道が走っているのでこの先で秩父鉄道と合流する形となります。
(奥が熊谷方面)

最後はかなり話が脱線してしまいましたが(鉄道ネタだけに…笑)、これにて同日の行程終了。
熊谷から都心方面は戻るのですが、車だと渋滞もあったので道のりは長かったです。

今回忍城は見なかったので、また鉄道で来た時に見学したいと思います。
(終わり)
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